自分の頭で考えるのは、過酷な労働よりも大変なのか!?地方ワーママ、脱サラを考える。その④
こんにちは!そっこそっこです。
主人と一緒に「就農する・農家になる」志を持って、ゆるく週末農業しているところです。
「なぜ農家を目指すようになったのか?」
複数回に分け書いていきます。
第四弾の今回は、「自分で考えるのを諦めたおじいちゃんの話」です。
前回、元農家のおじいちゃんに畑を借りようとしたら、週末農業では野菜作りは無理だと言われた、と紹介しました。
どうして無理と決めつるのかよくわかりません。
ただ全く使っていない土地を貸してほしいと頼んだだけです。
種や苗だって自分たちで買うし、平日の世話をお願いしたわけでもないです。
どうせ使ってない土地なんだから、硬いこと言わず貸してくれ!と内心思っていました笑
「お前らには無理だ。(だから貸せない)」ではなく、
「(お前らには無理だと思うけど、)貸すから好きにやってみな」という風に考えてほしかったのです。
おじいちゃんの思考は、
無理だ、出来ない、だからやらないです。
なぜこういった言葉が出てくるのか?
クセモノおじいちゃんは受け身で農業をやってきたところから誕生したんだと思います。
おじいちゃんは受け身で農家になった
私の実家の町は、戦後の農地開拓で開墾された土地です。
おじいちゃん世代(現80代)の方は開拓した土地を農地として与えられました。
行政によって分け与えられた農地は、Y字路の間の三角の土地だったり、日当たりが悪かったり、公平なものではなかったようです。
おじいちゃん達もあまり良い土地が与えられず、また天災や野菜の不作、出荷時の交通事故など様々なトラブルがあり、生活は楽ではなかったようです。
不作なのは、与えられた土地が悪かったから、上手くいかないのは農家になる運命だった生まれのせい、
と、今でも他人や境遇のせいにしています。
その結果、与えられた土地で教わった通りの農業を続け、
自発的に何かしようととか工夫しよういう気持ちが薄れてしまったのではないかと思います。
おじいちやんは反面教師
私は、おじいちゃんが無力なぐうたらだとは思っていません。
むしろ、荒れ果てた土地をよく手作業で開墾したな…と尊敬しますし、そのおかげで今の生活ができることに本当に感謝しています。
しかし、それほどの努力ができるのに、なぜ自分で考えて現状を変えていかないのか不思議でしょうがないのです。
難易度レベルで言ったら、
荒地の開墾>>>>>>>>>自分で考える
くらい自分で考える方が簡単なのにと思うのです。
おじいちゃんをみて思ったことは、
自分の人生は変えられないと思い込んで、思考停止してしまうと自分で考えることは開墾以上に大変な作業になるんじゃないかということです。
おじいちゃんを反面教師に、
周りの意見が〜とか、どうせ私なんか〜など適当なことを言っていないで自分のことは自分で責任を持とうと決めました。
自分の未来は自分で決める!と前向きに考えて行動するしか現状は変えられないですもんね!
そして、一度はおじいちゃんに断られた畑ですが、このあと顔を合わせるたびに、貸してくれないかとお願いするのでした。